初黒豆 初青豆 初ちまき

小豆につづき。
丹波の黒豆と、青豆(品種を聞きそびれました)の、鞘出しです。

大豆の収穫って、こんな感じなんだ…と、またまた初体験。
開けて、黒いと、なかなかびっくりです。
ときどき、芋虫さんこんにちは、となります。(笑)
このあと、取り出した豆の選別作業があって、
グラムで袋詰めして、ようやく商品となります。
なかなか、手間はかかります。
この冬のお仕事になるそうです。

そして、一緒にちまき巻き巻き体験!
笹の葉と、菅(すげ)という紐となる草と、もち米と。
包み方、結び方…
もち米の量も、入れすぎるとぎゅっと詰まって固くなってしまうし、
少なくして緩めに結ぶと、茹でているうちに崩れてしまうし…もう、職人技です。

昔は、裏の山でとれた笹の葉と、菅を煮てあく抜きして作っていたそうです。
今はそれを冷凍保存したり、菅も売っていたり、するそうで。
笹の抗菌作用とか、様々な知恵が詰まった保存食。
手仕事、やはりいいですね~。
でもこれ、一度やっても、次にやるときには忘れてるだろうな…(^^;

先生との。 ~日本語。

先生との経緯、思い出をいくつか。
これも、ドイツでご一緒させていただいた時のことです。

1か月後?には日本巡回が…、という予定があることを
私はよくわかっていなかったのですが(笑)、
そんな、ある日。

「日本語教えて」
と。

「会いたかった」
「愛してる」
からはじまって、「神様」とか、簡単なあいさつを、
対語表のようなものを二人でつくってお渡ししました。

そして、その次には
「歌詞を教えて」
と。

「御旨咲く摂理史」の歌詞を、
先生はA4用紙に一文字ずつ、
「미(み)」「무(む)」「네(ね)」「사(さ)」「쿠(く)」・・・
…と書き始められました。

途中、1枚の紙に収まらなくなると、
新しい紙に、また最初から、
「미」「무」「네」…
と書き直されて。
それを、何度も何度も繰り返して。

4回目か5回目か、ようやく出来上がった紙を
先生は大事そうに折って胸ポケットにしまい、
部屋に戻られました。

…のもつかの間。
今度は「歌って」と、
その手には録音機材が。
(わかります?MDって。それにピンマイクも一緒に。)

そして録音が終わると満足そうに部屋に戻られたのでした。
(その後は戻ってきませんでした。笑)


そして数日後の主日。


「今日は先生が特別賛美を歌います」
とおっしゃり。
もちろん曲は、日本語で「御旨咲く摂理史」!

どうやらずっとみんなの前でも練習されていたようで、
一緒にいた他の韓国の人たちも日本語で歌い、
大合唱になったのでした…。
(そして、しばらく日本語ブームに。笑)

そしてそして、8月。
日本巡回で、みんなの前で披露されました。


先生が、
どれだけみんなのことを
喜ばせようと、楽しませようと
考えてくださっているか。
忙しい中時間を割いて
準備して、努力もされているのか。

そんな先生の姿、神様、イエス様の思いを
少しでも感じていただけたらうれしいです。

 

(みんなを楽しませるエピソードはもう一つ。
また今度に。)

アオサギ

天地万物をとおしてはたらきかけてくださる神様。

というわけで。
このところ、毎朝のようにお目にかかる、この方。

えっと、アオサギさんです。
けっこう、近いと思うのですが、
逃げもせず、「何か用?」とでも言いたげにこちらを見ております。
こっちのほうが、失礼しました~と距離を置いて通り過ぎる始末。笑

そして別の日には、通ろうとしたらどこからともなく飛んできまして。

カメラ目線で、直視されております。^^;
会いに来てくださったのか、挨拶に来てくださったのか…


撮影だけです~すいません~と、とっとと離れる私。笑
けっこう大きいんですよね。凛としていて、綺麗なのですが
その迫力に負けるというかなんというか…

でもこれが続くと、
朝から、共にしているよー、見てるよー、と
会いに来たと思わずにはいられません。
偶然って、続かないですし。

勝手な思い込み、偶然、で済ますか、
御働き、と思うか。
万物をとおして、とおっしゃったので
私は信じてますけどね。
その先に何があるか、何を感じるか、で、結果は分かると思います。

伝えること 伝わること

昨日、韓国で大々的にデモが行われ。

この時代に、正しいことを正しいと伝えることが
どれだけ大変なことなのか、そして
それが正しく伝わるためにはどのようにすべきなのか
どこまでしなければならないのか
改めて、考えさせられました。

真実と、事実
主観と、客観
様々な情報が溢れる中で
それを分別する力を自らがつけないと
振り回され踊らされ、疲れ果てて終わるだけ

その中で、伝える力もこの上なく必要で
またそれがどのように伝わるのかまで考察して。

「言葉より実践」

御言葉が、その姿が、浮かびます。

ただ、正しいことを正しいと伝えたいだけなのに。
もどかしくてもどかしくて。
正しく伝わることを祈るばかりです。